gd_c 1220's diary

飛ぶ鳥を落とす勢いで生きろ

死にたいのか死にたくないのか

夢を見た。同じ夢を見る最近は。

夢筋としては簡単、誰も知らない街に一人でいるバスはもう来ない夜が遅いから。音楽を聴きながら(それはドビュッシーのようなビルエヴァンスのような斉藤和義)辛く暗い路地を汚い足取りで歩く、後ろに誰かがいるような気がして振り向くと顔の見えない男が高い声で笑いながら俺を滅多刺しにする。何となく夢だと分かるけどこれはこれでよかったと何故だかそんな想念すらある、目は覚める。

 

なんだってこんなむなくその悪い夢を一週間に3日弱のペースでコンスタントに見なきゃいけないんだそりゃもっと綺麗なお姉さんに優しくされる夢がいいよ俺だってさ、そう思ってる。

これが「吉夢だら」「んや凶夢だて」とかそんな議論は求めないのであって、ただこのむなくその悪い夢を見ている現実に散々嫌気が刺さってる、もう抜いても抜いてもきりがない。だから死ぬことにしました。が一番楽なんだろうなと。若くも老いても男も女も自殺するような人の心持ちをほんの少しだけ分かったような気がした。

 

でも、でも俺は生憎まだ死にたくない。今年の冬服を着てないし、HUNTER×HUNTERは完結してないし、オザケンはまだ生きているからね。

死にたいのか、それとも死にたくないのか。ここに「生きたいのか」という選択肢は介在してこない。だって特別、生きていたい、わけじゃない。恋しい日々が続く限りは肥溜めをすすってでも死にたくない。「生きたい」より「死にたくない」の方がエネルギーが強い。

 

眠たい昼も夜も、また夢を見るんだろうか、明日の目覚ましかけなくちゃ。もう正直うんざりしてる。せめてもの抵抗に今日は吉澤嘉代子を聴きながら寝るよ、助けて吉澤嘉代子。(これはきっと俺の中の綺麗なお姉さんのイデア吉澤嘉代子なんだろうなまったくすけべだ)

三連休

疲れてしまう。

三連休がこう多いとどうも疲れてしまう。

 

だらけるのはいつだってサンドウィッチされた日曜日なんだけど、今日は違う勤勉だった。

朝、8時過ぎに起きてから布団を外に干した。白シャツのアイロン(3着)ともう秋だから部屋の模様替え、暑くて少し汗ばんだ身体を軽いシャワーですっきりしてからお昼ご飯にキーマカレーを作った (ローリエとクミンシードが至高の存在) スカートの「CALL」をアナログ盤で聴きながら英単語を300やる、3周目の6曲目、「アンダーカレント」で止めて自分の洗濯物を取り込んで畳んだ暑いのに外の空気が澄んだ秋の匂いで不思議な感覚だったのは面白かった。そうこうしてるうちに日が沈み始めてポップコーンとサントリーの烏龍茶を用意して観たかった「探偵はBARにいる2」を、大泉洋が好きだ。夜ご飯は家族は外に食べに行くっていうから、作り置きの具材を使ってパスタを作ったジェノベーゼソースがどうもうまくいったうまい。

 

そんなぐあいで三連休サンドウィッチのハム日曜が終わる。カネコアヤノを聴きながらこのブログをしたためているそんな23:00も終わる60秒の23:00。カネコアヤノなら「さかな」か「とがる」「退屈な日々にさようならを」だと思うんだけど、どう思う。

 

明日も休み。だらけるか、はたらくか否か。

一概の幸福じゃないけどそれでもあほな学校にきちんと行くよりは数倍はマーシーなのかなどうなんだろうわからないや。スヌーピーなら答えてくれんだろうか。カネコアヤノの「祝日」がこのタイミングでスマホから流れてくる。はあ〜若気の至り〜 (いとしい曲で)

 

三連休サンドウィッチはもういりません、そろそろデザートの中間テストパフェを下さい。

元彼氏として

実はもう「元彼氏」でもないのかもしれない。

いや「元彼氏」であってほしい「元元彼氏」とか語呂的に致命的だし、もしかして「元元元彼氏」?いやそれじゃあもうなんか「前前前世」みたいだから。そんな悲しい事実はない前提でいないと悲しくなってしまう。

 

弟が中学二年生。中学校の文化発表会に行ってきた。中学校のアウェー感は痛いほど感じた目線が痛かった。やめて。

俺が中学二年生の時何やってたかって菜種油絞るみたいに思い出してみれば「クラス内対抗騎馬戦大会」の開催者兼会長をやってた。何だそれ。クラスの男子に二人一組になってもらって勝ち上がりトーナメントで騎馬戦してた、優勝者にはカントリーマアム一袋。何だそれ。

それと好きな子が、おんなじクラスだった。

 

いつもは眼鏡を掛けてて、おとなしい子だった。教室の隅で一人おしとやかにアガサクリスティー読んでるような。吹奏楽部であの辺のグループで「ふふふっ」って静かに笑ってる。フルートだったかプルートだったかよく覚えてないけど丁寧に楽器を扱う子だった。がさつな野球少年だった俺とは縁もゆかりもないような。

 

合唱コンクール、その子は伴奏者。俺は男子、真面目にやるわけがない。「ねえ!男子ちゃんとやって!」が響いた教室はあれはなんだ漫画だったの?それとCDプレーヤー勝手にいじってラジオ聞いてたら担任の先生に上履きを投げつけられて走って逃げた。大人の本気は怖かった。伴奏者のその子は本番、眼鏡を外してた。あの頃の俺はそれを好きだと思った。結果は最優秀賞だったっけ、なんか賞はもらった。その子の弾くピアノも好きだった。

 

それからその子が俺のことを好いてくれてると、友人が教えてくれたのはもうちょっと先の事なんだけど。まあなんでもいいけど、俺はその子の、中学生の恋心をきっと台無しにした。嘘をついて、見栄を張って、誤魔化した。謝るタイミングはいくらでもあった、謝れなかった。ちゃんとクソガキだった、どうしようもない。それでも今ならきちんと謝れそうだとか、そんな事を思ってるけどきっとあの子は顔も見たくないだろう。わかる。それな。ごめんな。

 

こんな事をこんなとこに書いてるから、恥ずかしいやつだ女々しいやつだ、と散々言われるのだろうけど別にいいんだ俺は意気地がないんだそうだよそうですそうです意気地どころか何にもないですよそれでいいよもうそれでいいよ。

 

ここまでを吹奏楽部の演奏発表を聴きながら、フルートを吹く名前も知らない女子中学生を見ながら、その子の影を見ながら思った、ぼんやり。隣で母は泣いてた「一生懸命やっているのがクる」らしい。歳はとりたくない。

 

ショックなのか嬉しいのか分からないけど、先生たちは誰一人として俺のことを一発で思い出してはくれなかった「痩せて」「髪が伸びて」「服がきちんとしてる」なら別人に見えるんだって、雰囲気が違うんだって。俺は変わってないつもりだったけどいつのまにか全然違う人になってたらしい。吉川晃司から齋藤飛鳥ぐらい。できれば、元彼氏として、君にはあの頃のままでいて欲しい、眼鏡もそのまま。え?外した方が良かったんじゃないのって?今、あれ、俺、眼鏡フェチなんで。え?は?なに?最低?

 

 

 

 

 

弾いて弾いて歌うぐらいの比率

"弾いて弾いて歌うぐらいの比率"

 

文化祭。美術室の黒板にこの言葉を書いたのはきちんと理由があるんだよそうなんだよちょっと格好つけて意味のわからないことを書いたんじゃないんだよ違うんだよわかってくれよ。

1年生の時組んでたバンド(某タラロック)が方向性の違い()であっさりと終わっちゃって残ったのはツイッターアカウントとバンドの練習枠だけ。ツイッターはいたたまれなくてなんかもう見れなかったし、部活の枠はなんだか申し訳なくて「使いません」とは言えなかった。

冬、寒い日にアコースティックギター担いで部活に行って誰もいない部室で(時々自分の使わない隣の部室すら誰もいなくて鍵を取りに行かずに部室の前で弾いてることもあったなあエモいな)一人で弾いてたみんなを待ってた、まだやれるんじゃないかって本当はまだ続けられるんじゃないかって、でもやっぱり誰も来なくて。

でもその時に弾きまくったギターと歌いまくった歌はきちんと歌えるようになって徐々に徐々に弾き語りをするようになって。

何が言いたかったっていうと。血が出るまで弾いて弾いてちょっとでもいいから楽しく歌えるような比率、バンドが無くなって、悲しくって、辛くて、でも新しいバンドを組んだり弾き語りをして、ライブが楽しい!ぐらいの比率だと腐らずにいられるのでは。ってこと。それとあの時ギターを歌を褒めてくれた先輩がいなかったら「クリープハイプ歌うの?頑張ってね?」ってあの可愛い先輩が言ってくれなかったら、部活なんてとっくのとうにやめて家でPS4やってたと思う、PS4やりたかった楽しそうだし。