gd_c 1220's diary

飛ぶ鳥を落とす勢いで生きろ

落武者店主の懇志

「書を捨てよ、街へ出よう」と言ったのは 寺山修司であった。然し乍ら場合は違う「書を捨てよ街へ出よう そして街で書を拾え」ぐらいの触感であり 散歩に出ても古書店 或る用事で出掛けるにしてもブックセンターである。積み本は間断無く増える一方であり そろそろ"罪本"である。いい加減にしろ。して今日も有隣堂で定期開催されている古書展にさも詩仙李白の釣り針で釣られるようにして脚が向かう。藤村の"落梅集"を古書の大海原の中から見つけ出し 加藤周一の"羊の歌"を新書の砂漠から探し出し 人を突き退けるようにしてレジスタを目指す頃にはまったくクタクタであった。レジスタの番人を果たすは接客において小噺が多いと世評のある落武者店主の御人であった。前回の古書展は気遣わしく無く行かなかった事から 多少の気難しさとご無沙汰の間柄である。「加藤周一の"羊の歌"は下巻が無いからこの値段なんですよ」と云うのが落武者店主だと気付くのには数秒を須要とした「お久し振りです」と云うと「卒業おめでとう御座います」と応えた「有難う御座います」と云うと「大学は何方まで行かれるのですか」と物問われた。駿河台だと応えると「明治ですか」と云う。どうも察しの良い落武者である。その後 落武者店主が中央大学の旧学徒であった話譚をパッキングの隙間に入れていくのを起用だ比興だと質朴に思うと同時に烏兎が過ぎるようであったのに確かに私を覚えていた落武者店主の懇志を感じた。14日迄の古書展にまた釣られてみるのも良いのかもしれないと軽妙な財布を見て思う。さて金が無い。

 

追記 写真は古書展で売っていた 1980年円谷プロで製作された快獣ブースカ人形である。80年代 資本主義における大量生産の到来が感じられる一枚 その表情は些か哀しげである。

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