冗談

藤沢駅コートダジュールの21号室で午後九時頃。声が詰まって歌えなくなった「ねがいり」のカラオケ特有の無機質な演奏がただただ、ひとりの部屋に跳ねては消えていった。何も言うことはないし言いたくないし、言うつもりないとかそんなこと言いながら、こんなことを書いてる自分にまず嫌気がさしながらそのあとうんざりした。

 

勝手だと思う。勝手に近づいてきて勝手にその気にさせておいて勝手に消える。

君はよく未来のことを話した「鎌倉のペアリング」「来年のロッキン」「旅行」どれもこれももう宙ぶらりんで、変に期待してしまった俺はほったらかしだもんな。勝手だ。「悲しませたくなかった」とか「このままの関係は申し訳なかった」とかそれも自分勝手だ、俺の為だって銘打って結局は自分の為で、そういうところが本当にずっと嫌いだった。「君がいたから私はちゃんとしていられる」って言ってたのは、あれは嘘になりましたか、別の誰かが見つかりましたか、身近で年上の(あるいは同い年の)格好いい人ですか、まあ別にもうどうでもいいけど。その上で「悪いところはなくて」「縁は切りたくない」「後輩として」「本当は手放したくないけど」とか一体何を言ってるのかさっぱりわからなかった、どれだけ俺にダメージを与えれば満足だったの?手放す手放さないって俺は君のイメージキャラクターですか、それともお気に入りのぬいぐるみとかですか。

自分で話をふっておいて自分が先に泣いたその身勝手さと自分の気持ちにありえないくらい正直なところが最高に気持ち悪かった。でもそういうところもきっと合ってた、似てた。含めて全部好きだった。はもう勘違いでしたか。

最後に君に吐いた「結局大学生だもんな」は本当にガキ過ぎて。雑踏に消えた君の「今まで」は最後まで聞きたくなかった。聞けなかった。

 

何もかもが、最低だった。俺も、君も。間違いだった。

喉が痛い。

 

 

 

 

 

映画館のポップコーン、ふかふかのシート、横顔

最後に見た映画、映画館で見た映画は、なんだっただろう。ふと海馬を辿って大脳皮質に想いを巡らせる、も、なんだったかが出てこない。なんとなく絞った妥協案は"君の名前で僕を呼んで"か"高崎グラフィティ"だった。

 

たくさんの好きなものがある。その中でも好きなのが映画館で、ひとりでもよく行く。

特に平日の映画館は閑散としたチケット売り場、僕の頭をコツコツと叩くような美味しいポップコーンの匂い、無愛想なチケットもぎりに中に入れば、「暗い空間さえあればいいの」といったふうなカップルともうここ何年か笑った痕跡のないサラリーマン、何で生計を立てているのかわからないおばさんがシアターの前に一堂に会している。僕は決まって後ろの端っこの方に腰掛ける。

 

秋、帰りの電車の中でふと見えたTwitterはDMの画面。いくつかの裏アカウントと連絡をとっていた、どれもこれも女の子の裏アカウントで、どれもこれもデートに誘っていた。踊る絵文字とは裏腹に女の子の返信はそっけのないもので、僕は、少しだけ嬉しくなって電車を降りた。

 

正しいとか正しくないとか、普通とか普通じゃないとか、よく分からないけれどこの瞬間もどんどん歩いて(あるいは走って)行ってしまう今を刹那的に生きていたいと切に思う日々が続きます。すっかり寒くなって。

 

今週末は映画を見ていたい。ドロドロのサスペンスか、まったくストーリーにキレのないミステリーか、はたまた人気のラブストーリーか。それでもやっぱり人生は決して映画じゃないから。

11/9

まあ、寝付けるわけがない。

 

前日の実感が部屋の電気を消した辺りからじわじわと身体に染みる。明日の天気と気温と湿度、乗り換えの電車と面接スペース乗り越えの方法でエンジンをかける。やれることはやった、やりたいこともやった、やらないこともあった、でもそれでよかったと云える明日にしたい、とかなんとか思ってる。何とかなるかなあ?

 

ほんとうに今ありえないぐらいにセンチメンタルで、インスタグラムのストーリーによくわからないテンションの動画をアップしてしまって軽く後悔してる、明日の朝恥ずかしくなるやつ。

 

電話を掛けようかとふと考えたけど、そんなのは柄でもないからやらない。スマホはこれぐらいにして今日はおやすみ。

 

追記、崎山が大船駅のあの雑踏の中で頑張れと言ってくれた、どうもありがとう。

 

「君がいないと駄目になってしまう」

"LA LA LAND"をTUTAYAで借りて観るなどした。いや最高だった。女優の卵とジャズピアニストの卵が立派な卵焼きになる映画だった(大嘘)みんなも観るといい。

 

くしゃみが止まらなくてずっと鼻をすすって恥ずかしい。図書館でも床屋でも、本屋でも、パン屋でも、ドトールでも、ズビズビ、申し訳ないです。季節の変わり目だから〜とか言い訳はしません、連日の夜更かしが原因なのはわかってはいるんだけど。どうも寝れない夜が続く(ついこの前まで眠たい眠たいって言ってたくせに)

ジャズを聴いたり、落語を流したり、でも駄目。"モントリオールジャズフェスティバルのビル・エヴァンス"も"青菜"もそっくりそのままきちんと聴き終えてしまう。本を読む気にもならない。仕方なくセロニアス・モンクの演奏を適当に見繕ってココアを飲んだ。結局。

 

セバスチャンのミアがいないと駄目な感じ、見ててなんだか苦しくなった。別に目に見えるような束縛を繰り広げているわけじゃないんだけど、縛られてる感。目に見えない束縛が結局いちばん強い。デジャヴだ。誰だ。いっそ全部、全部やめてしまって、捨ててしまって、ジャズベーシストになれたら。とっても素敵だと思う。むろんそんな事はできない「チキン」だからね。"LA LA LAND"の話。

 

髪を切ったら新しい自分になれる?違う、繰り返してる、ふりだしにもどっておんなじところをグルグル繰り返してるよ、それ。多分。

 

 

宇治抹茶ラテ

偶然性とか邂逅性とか、なくなってしまった時にどうなってしまうんだろうとか。

 

情報が煩雑な現代で自分の思考とか行動とか、ある程度のところでSNSとかインターネットに左右されてしまうのは、個人的に嫌だと思う。

SNSとかインターネットの情報だって偶然性はある」ってたしかにそうだけど、それは全然、"physical"な偶然性じゃない。本来の「偶然性」の意味合いとはかなり違ってきてしまっている (変化の多い言語の側面は否定したくないけど)

こうなると不特定多数との関係性もそのうち否定されていくのだろうか、とも思う。居酒屋や銭湯、古本屋でもいい、ある意味で雑踏な、そんな空間で出会う人々はきっと不特定多数の人々で、不特定多数だからこそとんでもない嘘もつけるしその裏で近しい人々にはできないような話も嘘に混じってできたりする。愛すべき不特定多数の人々とのコミュニケーションとコミュニティを、AIはダメダメだと一蹴するだろうか。

これは別に、反時代的な思考がいいって主張じゃない。本当にそれでいいのかい?って聞かれた時に自分が持ちえる最良の応答を形作りたいがために、系譜学的な思考も時には必要なのかなとかそんな感じ。個人的にTwitter大好きだし。

 

僕は過去の話をするのがとても好きで、それは昔の同級生とか学校の先生とか、好きだったアニメとか、好きだったあの子とかの話をすること。全部が全部、自分の身体で体験した過去の話で、「偶然性」の過去だからどれもこれもステキだ。変な話、彼らはもう過去の人で今の僕の前にヌッと姿をあらわすことはないから「死人に口なし」みたいな。だから話しやすくて、好きなのかもしれない、と考えたりする。

 

偶然を装って冬を過ごしたい。ドトール宇治抹茶ラテを飲んだ。

 

 

 

寝るということ

眠たい日が続く。日差しが優しいんだ、秋中頃の寒いんだか暖かいんだか分からないようなこの気温も優しい。ずっとこのままがいいとか言うと拗ねた冬にめっためたに暴力を振るわれるからそんなことは口にしない (できない)

 

11月が近いのはカレンダーを見れば一目瞭然で、日めくりカレンダーの薄さから2019年が近いのもなんとなく分かる。ワンクール打ち切りのドラマのこととかを心配する。

10月は、つまり今月は、しっかり寝た月だった、「睡眠強化月間」そう、勝手に強化した。よく「受験生は寝る間も惜しんで勉強!勉強!」みたいな睡眠排斥活動家がいるけどああいうのは嫌いだ。寝る子は育つ、寝ない子は育たない、先人がそう言ってんだ。寝たほうがいいに決まってる (こんな呑気なことを言ってられるのもいつまでかな〜!寝たい!)

取り敢えず、受験生の諸君らは今すぐにペンを置いて頭に枕しなさい、共に健やかなる夢の多島海国家に旅立とう、つまり寝よう、今日は。

そして夢をみた方がいい、犬が小さな湖を一生懸命に泳いでる夢でも、クジラが捕鯨船の下を器用にすり抜ける夢でもいい、ソ連崩壊の瞬間に立ち会うような夢でも、おばあちゃんの作った少し甘すぎるパンプキンパイをガールフレンドと食べる夢でもいいかもしれない。むろん夢はいい。いつだって自分の無意識を意識させてくれる。

 

秋の眠たい日々はつづく

To be continued…

 

 

 

 

食べ過ぎと秋の相関関係 (美味しいチーズケーキと最高気温21度)

食べ過ぎてしまうのは、きっと秋が多い。

"読書の秋"とか"映画の秋"とかなんとかかんとか言うけどやっぱり"食欲の秋"が最高にしっくりくるでしょうか。

 

今ももう、お腹が痛いんだけど、勿論過食でなんだけど、秋だからしょうがないよね。食べ過ぎて飽きたから消化しないよね、胃がさ。溜まる。昨日の鍋のだしおじやに湘南やま屋の油そばセブンイレブンの照り焼きチキンサンドウィッチにステラおばさんのクッキーと普段料理のしない君が作ったチーズケーキをたくさん食べた。君って、濁すのは、なんだか最高に気持ち悪いけど、まあいいや。お腹は痛いけど、多分に含んだ幸福感はある。マゾヒスティックではない多分な。これは駄文な (無理のある韻文)

 

チャールズミンガスの『直立猿人』っていうALが素晴らしいセンセーショナルがある、テナーサックスの音をサイレンに見立てたり、「進化」「優越感」「衰退」「滅亡」って主題を盤に取り入れたりの文学性も含むのが良い好きだなあ〜最近聴いてて思ったベースの良さとミンガスの良さ。もうだんだんと寒くなってミンガスも洋服も厚手の服や音になるのはつまり冬ももう近いってのは早とちりなのか。

 

いつか見た映画の名前を、思い出せない。大きい魚がプールで泳いでいる本当を嘘だと言われて本当を証明するあの映画を、いまいちというか、完全に名前を、思い出せない。なんだったっけか。

 

また明日になって欲しい。本を読みたい。

 

 

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