gd_c 1220's diary

飛ぶ鳥を落とす勢いで生きろ

11/9

まあ、寝付けるわけがない。

 

前日の実感が部屋の電気を消した辺りからじわじわと身体に染みる。明日の天気と気温と湿度、乗り換えの電車と面接スペース乗り越えの方法でエンジンをかける。やれることはやった、やりたいこともやった、やらないこともあった、でもそれでよかったと云える明日にしたい、とかなんとか思ってる。何とかなるかなあ?

 

ほんとうに今ありえないぐらいにセンチメンタルで、インスタグラムのストーリーによくわからないテンションの動画をアップしてしまって軽く後悔してる、明日の朝恥ずかしくなるやつ。

 

電話を掛けようかとふと考えたけど、そんなのは柄でもないからやらない。スマホはこれぐらいにして今日はおやすみ。

 

追記、崎山が大船駅のあの雑踏の中で頑張れと言ってくれた、どうもありがとう。

 

宇治抹茶ラテ

偶然性とか邂逅性とか、なくなってしまった時にどうなってしまうんだろうとか。

 

情報が煩雑な現代で自分の思考とか行動とか、ある程度のところでSNSとかインターネットに左右されてしまうのは、個人的に嫌だと思う。

SNSとかインターネットの情報だって偶然性はある」ってたしかにそうだけど、それは全然、"physical"な偶然性じゃない。本来の「偶然性」の意味合いとはかなり違ってきてしまっている (変化の多い言語の側面は否定したくないけど)

こうなると不特定多数との関係性もそのうち否定されていくのだろうか、とも思う。居酒屋や銭湯、古本屋でもいい、ある意味で雑踏な、そんな空間で出会う人々はきっと不特定多数の人々で、不特定多数だからこそとんでもない嘘もつけるしその裏で近しい人々にはできないような話も嘘に混じってできたりする。愛すべき不特定多数の人々とのコミュニケーションとコミュニティを、AIはダメダメだと一蹴するだろうか。

これは別に、反時代的な思考がいいって主張じゃない。本当にそれでいいのかい?って聞かれた時に自分が持ちえる最良の応答を形作りたいがために、系譜学的な思考も時には必要なのかなとかそんな感じ。個人的にTwitter大好きだし。

 

僕は過去の話をするのがとても好きで、それは昔の同級生とか学校の先生とか、好きだったアニメとか、好きだったあの子とかの話をすること。全部が全部、自分の身体で体験した過去の話で、「偶然性」の過去だからどれもこれもステキだ。変な話、彼らはもう過去の人で今の僕の前にヌッと姿をあらわすことはないから「死人に口なし」みたいな。だから話しやすくて、好きなのかもしれない、と考えたりする。

 

偶然を装って冬を過ごしたい。ドトール宇治抹茶ラテを飲んだ。

寝るということ

眠たい日が続く。日差しが優しいんだ、秋中頃の寒いんだか暖かいんだか分からないようなこの気温も優しい。ずっとこのままがいいとか言うと拗ねた冬にめっためたに暴力を振るわれるからそんなことは口にしない (できない)

 

11月が近いのはカレンダーを見れば一目瞭然で、日めくりカレンダーの薄さから2019年が近いのもなんとなく分かる。ワンクール打ち切りのドラマのこととかを心配する。

10月は、つまり今月は、しっかり寝た月だった、「睡眠強化月間」そう、勝手に強化した。よく「受験生は寝る間も惜しんで勉強!勉強!」みたいな睡眠排斥活動家がいるけどああいうのは嫌いだ。寝る子は育つ、寝ない子は育たない、先人がそう言ってんだ。寝たほうがいいに決まってる (こんな呑気なことを言ってられるのもいつまでかな〜!寝たい!)

取り敢えず、受験生の諸君らは今すぐにペンを置いて頭に枕しなさい、共に健やかなる夢の多島海国家に旅立とう、つまり寝よう、今日は。

そして夢をみた方がいい、犬が小さな湖を一生懸命に泳いでる夢でも、クジラが捕鯨船の下を器用にすり抜ける夢でもいい、ソ連崩壊の瞬間に立ち会うような夢でも、おばあちゃんの作った少し甘すぎるパンプキンパイをガールフレンドと食べる夢でもいいかもしれない。むろん夢はいい。いつだって自分の無意識を意識させてくれる。

 

秋の眠たい日々はつづく

To be continued…

食べ過ぎと秋の相関関係 (美味しいチーズケーキと最高気温21度)

食べ過ぎてしまうのは、きっと秋が多い。

"読書の秋"とか"映画の秋"とかなんとかかんとか言うけどやっぱり"食欲の秋"が最高にしっくりくるでしょうか。

 

今ももう、お腹が痛いんだけど、勿論過食でなんだけど、秋だからしょうがないよね。食べ過ぎて飽きたから消化しないよね、胃がさ。溜まる。昨日の鍋のだしおじやに湘南やま屋の油そばセブンイレブンの照り焼きチキンサンドウィッチにステラおばさんのクッキーと普段料理のしない君が作ったチーズケーキをたくさん食べた。君って、濁すのは、なんだか最高に気持ち悪いけど、まあいいや。お腹は痛いけど、多分に含んだ幸福感はある。マゾヒスティックではない多分な。これは駄文な (無理のある韻文)

 

チャールズミンガスの『直立猿人』っていうALが素晴らしいセンセーショナルがある、テナーサックスの音をサイレンに見立てたり、「進化」「優越感」「衰退」「滅亡」って主題を盤に取り入れたりの文学性も含むのが良い好きだなあ〜最近聴いてて思ったベースの良さとミンガスの良さ。もうだんだんと寒くなってミンガスも洋服も厚手の服や音になるのはつまり冬ももう近いってのは早とちりなのか。

 

いつか見た映画の名前を、思い出せない。大きい魚がプールで泳いでいる本当を嘘だと言われて本当を証明するあの映画を、いまいちというか、完全に名前を、思い出せない。なんだったっけか。

 

また明日になって欲しい。本を読みたい。

 

 

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死にたいのか死にたくないのか

夢を見た。同じ夢を見る最近は。

夢筋としては簡単、誰も知らない街に一人でいるバスはもう来ない夜が遅いから。音楽を聴きながら(それはドビュッシーのようなビルエヴァンスのような斉藤和義)辛く暗い路地を汚い足取りで歩く、後ろに誰かがいるような気がして振り向くと顔の見えない男が高い声で笑いながら俺を滅多刺しにする。何となく夢だと分かるけどこれはこれでよかったと何故だかそんな想念すらある、目は覚める。

 

なんだってこんなむなくその悪い夢を一週間に3日弱のペースでコンスタントに見なきゃいけないんだそりゃもっと綺麗なお姉さんに優しくされる夢がいいよ俺だってさ、そう思ってる。

これが「吉夢だら」「んや凶夢だて」とかそんな議論は求めないのであって、ただこのむなくその悪い夢を見ている現実に散々嫌気が刺さってる、もう抜いても抜いてもきりがない。だから死ぬことにしました。が一番楽なんだろうなと。若くも老いても男も女も自殺するような人の心持ちをほんの少しだけ分かったような気がした。

 

でも、でも俺は生憎まだ死にたくない。今年の冬服を着てないし、HUNTER×HUNTERは完結してないし、オザケンはまだ生きているからね。

死にたいのか、それとも死にたくないのか。ここに「生きたいのか」という選択肢は介在してこない。だって特別、生きていたい、わけじゃない。恋しい日々が続く限りは肥溜めをすすってでも死にたくない。「生きたい」より「死にたくない」の方がエネルギーが強い。

 

眠たい昼も夜も、また夢を見るんだろうか、明日の目覚ましかけなくちゃ。もう正直うんざりしてる。せめてもの抵抗に今日は吉澤嘉代子を聴きながら寝るよ、助けて吉澤嘉代子。(これはきっと俺の中の綺麗なお姉さんのイデア吉澤嘉代子なんだろうなまったくすけべだ)

三連休

疲れてしまう。

三連休がこう多いとどうも疲れてしまう。

 

だらけるのはいつだってサンドウィッチされた日曜日なんだけど、今日は違う勤勉だった。

朝、8時過ぎに起きてから布団を外に干した。白シャツのアイロン(3着)ともう秋だから部屋の模様替え、暑くて少し汗ばんだ身体を軽いシャワーですっきりしてからお昼ご飯にキーマカレーを作った (ローリエとクミンシードが至高の存在) スカートの「CALL」をアナログ盤で聴きながら英単語を300やる、3周目の6曲目、「アンダーカレント」で止めて自分の洗濯物を取り込んで畳んだ暑いのに外の空気が澄んだ秋の匂いで不思議な感覚だったのは面白かった。そうこうしてるうちに日が沈み始めてポップコーンとサントリーの烏龍茶を用意して観たかった「探偵はBARにいる2」を、大泉洋が好きだ。夜ご飯は家族は外に食べに行くっていうから、作り置きの具材を使ってパスタを作ったジェノベーゼソースがどうもうまくいったうまい。

 

そんなぐあいで三連休サンドウィッチのハム日曜が終わる。カネコアヤノを聴きながらこのブログをしたためているそんな23:00も終わる60秒の23:00。カネコアヤノなら「さかな」か「とがる」「退屈な日々にさようならを」だと思うんだけど、どう思う。

 

明日も休み。だらけるか、はたらくか否か。

一概の幸福じゃないけどそれでもあほな学校にきちんと行くよりは数倍はマーシーなのかなどうなんだろうわからないや。スヌーピーなら答えてくれんだろうか。カネコアヤノの「祝日」がこのタイミングでスマホから流れてくる。はあ〜若気の至り〜 (いとしい曲で)

 

三連休サンドウィッチはもういりません、そろそろデザートの中間テストパフェを下さい。

元彼氏として

実はもう「元彼氏」でもないのかもしれない。

いや「元彼氏」であってほしい「元元彼氏」とか語呂的に致命的だし、もしかして「元元元彼氏」?いやそれじゃあもうなんか「前前前世」みたいだから。そんな悲しい事実はない前提でいないと悲しくなってしまう。

 

弟が中学二年生。中学校の文化発表会に行ってきた。中学校のアウェー感は痛いほど感じた目線が痛かった。やめて。

俺が中学二年生の時何やってたかって菜種油絞るみたいに思い出してみれば「クラス内対抗騎馬戦大会」の開催者兼会長をやってた。何だそれ。クラスの男子に二人一組になってもらって勝ち上がりトーナメントで騎馬戦してた、優勝者にはカントリーマアム一袋。何だそれ。

それと好きな子が、おんなじクラスだった。

 

いつもは眼鏡を掛けてて、おとなしい子だった。教室の隅で一人おしとやかにアガサクリスティー読んでるような。吹奏楽部であの辺のグループで「ふふふっ」って静かに笑ってる。フルートだったかプルートだったかよく覚えてないけど丁寧に楽器を扱う子だった。がさつな野球少年だった俺とは縁もゆかりもないような。

 

合唱コンクール、その子は伴奏者。俺は男子、真面目にやるわけがない。「ねえ!男子ちゃんとやって!」が響いた教室はあれはなんだ漫画だったの?それとCDプレーヤー勝手にいじってラジオ聞いてたら担任の先生に上履きを投げつけられて走って逃げた。大人の本気は怖かった。伴奏者のその子は本番、眼鏡を外してた。あの頃の俺はそれを好きだと思った。結果は最優秀賞だったっけ、なんか賞はもらった。その子の弾くピアノも好きだった。

 

それからその子が俺のことを好いてくれてると、友人が教えてくれたのはもうちょっと先の事なんだけど。まあなんでもいいけど、俺はその子の、中学生の恋心をきっと台無しにした。嘘をついて、見栄を張って、誤魔化した。謝るタイミングはいくらでもあった、謝れなかった。ちゃんとクソガキだった、どうしようもない。それでも今ならきちんと謝れそうだとか、そんな事を思ってるけどきっとあの子は顔も見たくないだろう。わかる。それな。ごめんな。

 

こんな事をこんなとこに書いてるから、恥ずかしいやつだ女々しいやつだ、と散々言われるのだろうけど別にいいんだ俺は意気地がないんだそうだよそうですそうです意気地どころか何にもないですよそれでいいよもうそれでいいよ。

 

ここまでを吹奏楽部の演奏発表を聴きながら、フルートを吹く名前も知らない女子中学生を見ながら、その子の影を見ながら思った、ぼんやり。隣で母は泣いてた「一生懸命やっているのがクる」らしい。歳はとりたくない。

 

ショックなのか嬉しいのか分からないけど、先生たちは誰一人として俺のことを一発で思い出してはくれなかった「痩せて」「髪が伸びて」「服がきちんとしてる」なら別人に見えるんだって、雰囲気が違うんだって。俺は変わってないつもりだったけどいつのまにか全然違う人になってたらしい。吉川晃司から齋藤飛鳥ぐらい。できれば、元彼氏として、君にはあの頃のままでいて欲しい、眼鏡もそのまま。え?外した方が良かったんじゃないのって?今、あれ、俺、眼鏡フェチなんで。え?は?なに?最低?