gd_c 1220's diary

飛ぶ鳥を落とす勢いで生きろ

香炉峰の雪

日を継いで だんだん寒くなってはいるけど やっぱり暖冬な今年も もうあと少し。「よいお年を」と言う人が出てきたことに しみじみ感慨深くなりながらいる今日。

 

昔から喋るのが得意じゃない。友達とも両親とも先生とも 誰とでも喋るのが得意じゃない(あるいは好きじゃない) だから本が好きだった 小説が好きだった。文字は自分のペースで自分の好きなように伝えてくれて 伝えたいように動かすことができた。それは高校生になった今でも同じで。

Instagramのストーリーに駄文な散文を書くのも なんだかストーリーの即時性という性質をぶっ殺してる気がしてぼちぼち始めたブログ。目標は今年中に総アクセスが1000を越えれば上出来でしょうと思っていたけど バイトで地獄を見ているうちに1000を越えてた どうも有難う。確実に1人は見てくれている人がいる事になんだかだいぶ救われています また見ていてね。

(ブログのアクセスランキング1位が「三連休」なことになんかびっくりした そんなに力入れて書いてないあれ。3位は「冗談」で笑うしかなかったけどこいつは悪いやつじゃない。また読んでね)

 

最近になって自分の曲を作って歌って寂しくなってる。12曲はあるから自主制作のAL作りたい 卒ライかなんかで売り出してみたい。夢は膨らむよな!

 

マイヘアの「また来年になっても」がそこかしこで頭に流れてきて 年末って感じだ。

まあ年越しても年度が終わらないと年越した気がしないんだけど。香炉峰の雪に簾をかかげて看るなど。

f:id:creep_yez300:20181209155431j:image

暗い朝は少しだけ嬉しくなる

朝焼けに胸焼けする。朝にここまで不快な気持ちを抱くようになってしまったのはいつからだろう。人間の好きという感情は3ヶ月ごとに更新されるらしくて 少なくとも中学生までは好きでいた 更新され続けていた 「新鮮で何もかもが新しく感じた朝が好き」が更新されなくなったのはいつからだったのかを 系譜学的に検証していけばきっとその答えは出るんだけど 違うそういうことを言いたんじゃない お前は何も分かってない。そんなんだから。

 

完全に病気なので レッドブルとモンスターを混ぜたゲロを飲まないと人生を感じないし加速できない。さっさと死にたいけどこれ以上親不孝したくないし痛いのが嫌だから 今日もキューピーコーワゴールドアルファ錠を3つ身体にぶち込んで疲れをモラトリアムする。生きてる。

 

朝日が昇って 憂鬱がふつふつと湧き上がる。死にたい気持ちを抑えて生命の尊さを思う気持ちを冬服と一緒にひっぱり出す。シベリアの朝日を想う。

トルストイは言った「孤独な時 人はまことの自分自身を感じる」と、いやぜんっぜん感じねえよ 孤独な時はとてつもない虚無感と自己の存在に対する否定的な感想しか感じねえわ トルストイ何言ってんだと 思ったけど自分がありえん薄っぺらいだけだったことに気付いてもっとでした。もっと。虚無と否定。カップラーメン食べて学校に行くのら〜

 

 

パチンコ行きたい

なんか最近すっかり朝起きれなくなって、学校に大遅刻するマンになった。今日も11時に起きた瞬間に午前を切る覚悟を決めた。昨日の夜、ふいに観たくなった“リリイ・シュシュのすべて”は最高だったなと思いながらスンドゥブを食べる、“帰ってきたヒトラー”を観て大満足さん、シャワーを軽く浴びてたら母が帰ってきてて「あんたどうしたの」なんて聞くから咄嗟に「今日は午後授業だけ」とか意味の分からない嘘を吐いて家を出た。人間はいつだって嘘を吐く、嘘の総体が真実だ。そして真実はいつだって嘘で、真実なんてものは近頃もう全然見てない。近所のパン屋さんで一番安いサンドウィッチを買って公園のベンチで食べた。「今日は自選1時間だけだよ」とか同じ授業を取ってるデブがとんでもないこと言い出すからこいつぶち殺してやろうかとか思ったけど、どう考えても前回の授業に行かなかった俺と66年の夏を4人揃ってのラストパフォーマンスにしたビートルズが悪かった、ごめん。結局1時間だけ受講して帰った。空が、ごめん、すごい、綺麗だった。

 

ズーカラデルの新譜が最高。セブンイレブンのアーモンドボールとレッドブルを一緒にかっこむのが最高。スーパーで100円払ってストゼロでハイ(高まるハイと廃人の廃と吐くの吐の高度な縁語)になるのが最高。油そばのダブル盛りとチャーシューご飯、チェダーチーズトッピングで優勝してる日々が最高。「お金で買える幸せ」が、最高なんやなって。

 

YouTuberやろうかな。とか本気で考えてる。やばすぎだろ。

飲み過ぎて朝

飲み過ぎて友達の女の子に長文のLINEを送ってたのに気付いたのが11時過ぎに起きてから。朝ご飯(あるいは昼ご飯)に昨日の夜ご飯の残りの鍋を食べながら頭痛と闘っていた。「大丈夫? (笑)」なんて返信が返ってきてて「(笑)」は完全に苦笑いだ。こういうところが最低だと自分で分かってる。でもこういう時、決まって変に意地を張るから夜のツイートも消さないし友達にも謝らない。「いや、あのさあ、逆に大丈夫に見える?」と打ちかけて流石にやめた。「ゲロ出そう」だけ送信して、バイトの準備。

 

ヴィクトール・E・フランクルの「夜と霧」を最近読みだした。課題の一冊なんだけど、面白い。人生の生きる意味を探すんじゃなくて、どこかで何かが、誰かが自分を待っているからそれに向かうだけだって。そんなこと簡単に言わないでよ。でもアウシュビッツが概念になってたあの地獄に比べれば(比べるのもおこがましいけど)なんだかやれそうな気がしてきた。

 

「心配して欲しいわけじゃないんだけど、ないがしろにして欲しくない。悲しいわけじゃないんだけど、辛いんだよ」みたいな事を書き出しに送ってて、うわ〜ってなった。俺も苦笑いだわそんなん。気持ち悪りい。すいませんでした。

 

チャットモンチーの2005~2011ベストをしょっちゅう聴いてる。「橙」と「8cmのピンヒール」を、ちょうど妊婦さんが何か特定の食べ物を食べたがるように、身体が欲してた。チャットモンチーとカネコアヤノときのこ帝国には女の強かさをバチバチにもらってる感じがする、なんか語彙力だけど。超良い。

 

そりゃもう唐突に「先生は冬が好きですか」って聞くから「嫌いじゃないけど好きじゃない」って答えたら「そういう曖昧な返事はモテませんよ」って、うるせえ殺るぞ。

三連休2

「無いと寂しいもの」って、この文言だけ見ると、今の俺にはとてつもないフラグワードなんだけど。三連休が久々だ。

 

勤労感謝の日のお陰で金曜日が見事に安息日にフォルムチェンジした。ありがてえ〜

すっかり寒くなって布団から抜け出せずに終わりそうだけどやりたいことは山積み。「何をするかじゃない誰とするかだ」ってよく聞くけどそんなことない、誰としたって楽しいことは楽しいし楽しくないことは楽しくない。そう思うよ。

オススメしてくれたYouTuberにすっかりハマってしまっていたこと。最近になって分かった。シャッフルで流れてきた「手と手」が懐かしくていじらしくなったこと。満月だった昨日のこと。全部、ロマンスに仕立て上げたい。

三連休だから、こんなことを考えて朝ごはんを作ってた。大人の余裕があるのよ。

 

"カネコアヤノ聞いて散歩しよう"

"自分が死んだら遺骨をドローンにくくりつけて飛ばしてほしい"

最近のお願いはこの二つ。

 

冗談

藤沢駅コートダジュールの21号室で午後九時頃。声が詰まって歌えなくなった「ねがいり」のカラオケ特有の無機質な演奏がただただ、ひとりの部屋に跳ねては消えていった。何も言うことはないし言いたくないし、言うつもりないとかそんなこと言いながら、こんなことを書いてる自分にまず嫌気がさしながらそのあとうんざりした。

 

勝手だと思う。勝手に近づいてきて勝手にその気にさせておいて勝手に消える。

君はよく先のことを話した「鎌倉のペアリング」「来年のロッキン」「旅行」どれもこれももう宙ぶらりんで、変に期待してしまった俺はほったらかしだもんな。勝手だ。「悲しませたくなかった」とか「このままの関係は申し訳なかった」とかそれも自分勝手だ、俺の為だって銘打って結局は自分の為で、そういうところが本当にずっと嫌いだった。「君がいたから私はちゃんとしていられる」って言ってたのは、あれは嘘になりましたか、別の誰かが見つかりましたか、身近で年上の(あるいは同い年の)格好いい人ですか、まあ別にもうどうでもいいけど。その上で「悪いところはなくて」「縁は切りたくない」「後輩として」「本当は手放したくないけど」とか一体何を言ってるのかさっぱりわからなかった、どれだけ俺にダメージを与えれば満足だったの?手放す手放さないって俺は君のイメージキャラクターですか、それともお気に入りのぬいぐるみとかですか。

自分で話をふっておいて自分が先に泣いたその身勝手さと自分の気持ちにありえないくらい正直なところが最高に気持ち悪かった。でもそういうところもきっと合ってた、似てた。含めて全部好きだった。はもう勘違いでしたか。

最後に君に吐いた「結局大学生だもんな」は本当にガキ過ぎて。雑踏に消えた君の「今まで」は最後まで聞きたくなかった。聞けなかった。

 

何もかもが、最低だった。俺も、君も。間違いだった。

喉が痛い。

映画館のポップコーン、ふかふかのシート、横顔

最後に見た映画、映画館で見た映画は、なんだっただろう。ふと海馬を辿って大脳皮質に想いを巡らせる、も、なんだったかが出てこない。なんとなく絞った妥協案は"君の名前で僕を呼んで"か"高崎グラフィティ"だった。

 

たくさんの好きなものがある。その中でも好きなのが映画館で、ひとりでもよく行く。

特に平日の映画館は閑散としたチケット売り場、僕の頭をコツコツと叩くような美味しいポップコーンの匂い、無愛想なチケットもぎりに中に入れば、「暗い空間さえあればいいの」といったふうなカップルともうここ何年か笑った痕跡のないサラリーマン、何で生計を立てているのかわからないおばさんがシアターの前に一堂に会している。僕は決まって後ろの端っこの方に腰掛ける。

 

秋、帰りの電車の中でふと見えたTwitterはDMの画面。いくつかの裏アカウントと連絡をとっていた、どれもこれも女の子の裏アカウントで、どれもこれもデートに誘っていた。踊る絵文字とは裏腹に女の子の返信はそっけのないもので、僕は、少しだけ嬉しくなって電車を降りた。

 

正しいとか正しくないとか、普通とか普通じゃないとか、よく分からないけれどこの瞬間もどんどん歩いて(あるいは走って)行ってしまう今を刹那的に生きていたいと切に思う日々が続きます。すっかり寒くなって。

 

今週末は映画を見ていたい。ドロドロのサスペンスか、まったくストーリーにキレのないミステリーか、はたまた人気のラブストーリーか。それでもやっぱり人生は決して映画じゃないから。